ササクレポン

ただのメモ帳のようなもの

我が家のトラブルについて思い出語り

統一教会とかなんやらで家族ガチャ親戚ガチャに外れてお金で苦労してしんどかった(でも今は元気!)なるブログやツイートをよく見かけるようになったので、私も自分の過去の供養にブログを書きなぐるなど。

 

 

要約

 

残業続きだった社会人1年目の年末、貯めたお金で春には一人暮らしするんや!と希望を胸にあまり好きではない自宅に帰ると、母曰く「父、行方不明」とな。どういうこと~~~!?貯めたお金は弟たちと母の教育費と生活費になり、毎月家にお金を入れることになりました。そうです、一家のATM、大黒柱になりました。どういうこと~~~!?一一家離散することなく、弟たちは大学生になり大人になり独立していきました。めでたしめでたし。運ゲーだ!!

 

 

父、行方不明

 

私はぴちぴち(略)の20歳。社会人一年目でもうすぐクリスマスという年末、私は残業続きで深夜遅くに自宅に帰宅した。リビングには母ひとり。母は何故かうなだれていた。なんぞやしんどいことでもあったんかなと思いつつ、明日の仕事の準備を……いやその日は金曜だったかも?記憶があいまい。ともかく母の様子は気がかりだったが、母の相手は面倒だったので風呂に入る準備をしていた筈。母の隣を通ろうとすると、母がぽつりと言った「お父さん、行方不明になった」まじ?ドラマじゃなくて?どう返したか覚えてないが、ともかく驚いた。行方不明。そんなことあるんか。流石に隣に座って状況を訊いた。いつもガーガーうるさい母は縮こまってぽつりぽつりと話し出した。「借金があって、逃げたらしい」と。「……しばらく、お金貸してくれへん?」父を除いて、働いているのは長女の私だけだった。母は扶養内パート専業主婦。性格的に馬車馬のように働くなんて無理だろう。あと子供の弟達。まだ働けない。しゃーなし。ということで、一人暮らしのために貯めた貯金の内の50万を母に渡し、弟が成人するまで、毎月15万円を家に入れることになった。

 

父、見栄を張った結果

 

父が行方不明になってから、母は互いの親戚や警察や役所、父の職場にも行ったらしい。母曰く、父は同僚や母の両親つまり私の祖父母に対して借金をしていたらしい。母には内緒で。父の給料は、我ら大家族を養うには特に不足はなかったはずなのだが、母曰く、見栄を張るために小さな借金を繰り返していたと。私はいまだに父がどんな人だったかわからず見栄で借金するって感覚もよくわからないのだが、父はそういう見栄っ張りだったらしい。自作の給料袋を作っていたとか。父は振り込まれた給料から数枚抜いて給料袋に入れて母に渡していたという。「振込じゃなくて手渡しなの、おかしいとおもった!」と母は言う。ならなんで問い詰めなかったのだろうか?小さな借金はやがて5百万ほどに膨れ上がり、父は逃げてしまったのだ。

 

父、見つかる、両親、離婚

 

父はマイカーで逃げていた。警察からは「車の盗難届を出せば捜索網が広がりますが、見つかった場合、逮捕されます」と言われ、情が残っていたのか母は盗難届を出さず、自力で父を探し出す作戦に出た。父方の祖母がやっていた駄菓子屋の関係者が、父を探す協力をしてくれた。隔週くらいの頻度で父が生きそうな場所を捜索してくれたらしい。ありがたい。父が居ない生活にも慣れてきて「どこにおるんやろね?」が冗談で言い合えるようになってきたその年の夏、父は見つかった。母曰く、隣の県の浮浪者が集まって暮らしている場所にマイカー暮らしをしていたらしい。マイカーにはナイフがあって本当は死んでしまいたかったらしいが死ねなかった。家族は一家離散してばらばらに暮らしていると思っていた、と父は言ったらしい。残念、私が養っとるんだわ。父が見つかってすぐ、両親は離婚。父は自己破産はせずに働いて借金を返すことになった。母や私や弟達はあの時から変わらず、父の居ない生活をするだけだった。ちなみに自宅は父がローンで購入したものだが、自己破産せずにローンを支払わなかった。詳細は、その手のプロの人か ChatGPT などに訊いて欲しいが、この場合、保証会社が裁判所に対し競売手続きが行われ自宅は競売にかけられた。競売にかけられても落札されるまで住み続けることができる。うろ覚えだが、あの日から5年ほどの間、自宅で暮らすことができた。母と私と弟達で。私は途中で家を出ることになるのだが。

 

私、結婚

 

色々と省略するが、あの日から約3年後、良い出会いがあり、家から出てふたり暮らしをして、それから2年目くらいに結婚した。その頃には、もう弟達は大学を経て社会人になっていた。いや、末弟ひとりだけ学生だったわ。母と末弟は、母の実家つまり祖父母の家に引っ越した。自宅は競売で落札された。家に入れていた月15万円は、この頃には5万ほどになっていて、パートの仕事を増やした母と末弟の卒業とともに扶養は解消された。

 

父、死去

 

3390-pom.hatenadiary.jp

 

あの日から約10年後、母から父が「亡くなった」と連絡があった。いまだに自殺なのか病死なのか知らない。もう縁を切った家族であるが、葬式には参列することに。その時の心象は👆のブログに書きなぐっている。ちなみに、父の借金はさらに800万ほどに膨れ上がっていたらしい。なんでやねん。

 

振り返り

 

「父が行方不明」という人生終わりフラグが立ったにも関わらず、「運良く」私が仕事をしていたり、「運良く」母子家庭の申請も通って税の面で優遇されたり(たぶん今なら通らん筈)と、本当に「運が良かった」ので、今、弟達は普通に大学を卒業して普通に仕事しているし、母も普通に年金生活を過ごしている。あの日、私がまだ子供だったら、こんなにも普通な人生を今過ごしてないだろうと思う。世は運ゲーなのだ。ただひとつ残念に思っているのは、父がどんな人だったのか、いまだにわからないことだ。見栄の件はもうどうでもいいのだが、母や子供に対してどう思ってたのかどう感じていたのか、父が見つかった時に私も会いに行って問うてみたかったな、といまだに思う。